皆さんお疲れ様です。
雨の日曜日っていやですね(´;ω;`)
この時間帯に起きてる人は、たぶん気分的にあまりよろしくないのかもしれませんね。
今回はそんな憂鬱な時に、笑って聞いてほしいのですが、僕がアスペ克服のためにやった、無茶な仕事をした時の話を少ししましょう。
役には立ちませんが、こんなアホマジでいるんだ(笑)と思ってください。
プロフィールに少し書きましたが、僕は大学を卒業した後銀行に就職しました。当時銀行はまだ年功序列で、しかもうちの会社は政府系金融機関という、ガチガチのお役所体質で古い古い考え方の職場でした。
僕はそこで約三年近く勤めたのですが、取引先の重役と電話中に上司に顔面を蹴られるなど鬼のパワハラを受けて耐えきれずやめてしまいました。
もちろん与えられた業務を完ぺきにこなせなかった僕も悪いですし、その時の僕は完全に仕事というものをわかっていませんでした。自分なりに努力しているつもりでしたが、全然甘かったと今は反省しています。
当時マルチタスクに耐えられない僕の事務処理能力、短期記憶にも問題があったのですが、今思えばそれ以上にお客様や上司とのコミュニケーションを上手に取れないことがすべての原因だったように思います。
銀行を退職した後は、すごすご仲の悪い親のいる実家に帰るわけにもいかず、どうしたら自分のコミュ障を改善できるかぼんやり考えながら一人暮らしを続けていました。
体調が回復した僕はなにを思ったのか、
コミュ障改善→接客業→接客業の究極ってなんだろう?
・・・( ^ω^)・・・
・・・( ゚д゚)ハッ!
→そうだ!ホストをやろう!(白目)
大卒とは思えない狂った思考回路で、黒髪短髪のさえない不細工がホストをやることにしたのです。
テレビや漫画でしか見たことのない世界に正直興味もありましたし、夜の世界に全く縁のない人生を生きてきた僕には宇宙旅行にでも行くような、異次元に行くワクワク感があったのです。
実際に働いてみて思ったのが、
先輩方、思ったより全然優しいです。wwwww
ホストのイメージって、仕事できないとぶん殴られるとか、トイレを舐めれるくらいまで掃除させられるとか、酔っ払った先輩のサンドバッグになるようなこともあるのかと思いましたが、少なくとも僕はめちゃめちゃ可愛がってもらえました。
営業前に先輩が焼肉おごってくれたり、営業終わって代表にゴルフに連れて行ってもらったり、社長と二人だけで回らない寿司店に行かせてもらえました。
今思えばただ単に、僕がコミュ障克服のために何でも雑用を自分から進んでやったり、先輩のお客様の卓にヘルプがいなくなったら、うまく話せないながらもすぐに席について場をもたすなど、新入りらしい立ち居振る舞いをしていたことと、
先輩たちにとって、僕はブサイクなので売り上げを脅かす存在には到底見えなかったからかもしれません。ライバルになりそうもなく、忠実に雑用をこなす奴なんて夜の仕事にはあまりいませんから、重宝されたんだと思います。
象は身の回りを世話する小さなアリに寝首かかれるなんて思わないですから。
ここで女性のお客様や先輩の顔色をひたすら読む訓練を積んで、なんとなくですが「空気を読む」ということを自力で学習できた気がしました。
僕はやはり根底がアスペというか、その場に応じて柔軟に対応するというより、無数のパターンをひたすら覚えていく感じに近かったです。
毎日違う女性が来店します。中には幹部以外一言も口をきいてくれない手ごわい方もいたり、話がつまらないと酒をぶっかけられることも最初の頃はありました。
そういった数々の失敗の予兆を、表情や雰囲気を記憶して少しずつ対処できるようにしていった感じでした。正直いえば目の前のお客様がどうというより、
このパターンはこう、こう来たらこう、を鬼のように積み上げた
といったほうが正しいかもしれません。
こんな毎日を二年ひたすら繰り返していくうちに、気づいたら僕はお店のNo.3になっていました。誕生日には、テレビでやるような20段とかの豪華なものではありませんが、少し小さめのシャンパンタワーまでやっていただけました。
正直、ホストやっていた時代が人生で一番楽しかったかもしれません。
一人っ子の僕には同僚が兄弟のように見えました。駆け出しの頃は店の寮に住んでいたのですが、休みの日は兄弟のような同僚と朝までグダグダお酒を飲みながらピザを頼んでホラーDVDを大音量で見たり、年始はみんなで初詣行ったり、
自分の好きな女の子を寮に連れ込んだり(笑)・・・
友達がほとんどおらず、孤独に生きてきた僕には絵にかいたようなリア充の生活が出来ました。
でも、その生活は二年で終わりました。
僕の誕生月は一月なのですが、その月はいつにも増しての大量の飲酒がたたり、膵炎になってしまいました。おかげで誕生日イベントのあと数日間は欠勤することになりました。
そうしたらなんとその月の僕の給料は20万円くらいしか無かったのです。小さいとはいえ100万円以上するタワーもあったのになんでこんな金額なのかと、社長に詰め寄ったところ、
「複数回欠勤したペナルティだ」だと言われ取り付く島もありませんでした。
社長はそっち方面とつながりのある超強面だったので、とてもではありませんが殴ったりとか恫喝し返すことなんて出来ませんでした。
その時に「あぁ、このままやっててもしょうがないな」と感じて辞めることにしました。結局残ったのは膵炎と元AV女優の彼女だけでした。
お金を稼げても、ほとんど遊んで使ってしまい手元に何も残らなかったのです。
良くも悪くも夢のような時間でした。
でも当時の同僚とは今も仲良くさせてもらっています。お互い年を取ったので、将来のことを話す機会が増えました。友達とはちょっと違うのかもしれませんが、人生で唯一、酒に酔って大声で怒鳴りあいしたり泣き叫んだり、時には苦楽を共にしてできた仲間です。
正直、みなさんにホストやキャバクラ自体を勧める気はありません。
僕はアスペ克服のために、無理して一番できないようなことを人生経験としてやっておこうと思っただけです。当時は銀行をドロップアウトしてもう何も怖くなかったですし、自暴自棄だった部分も否定できません。
今回ははっきり言って全然役に立ちませんが、
憂鬱な雨の日曜日くらい、たまにはそういうのもいいのではと思い書きました。
ちなみにホスト以外でも、キャバクラのボーイもやりました。気づいたら昇進して、系列店のおっぱいパブの店長やったりもしました。その時のことはまた気が向いたら書きますね。
人生はいくら失敗したって大丈夫ですよ。
本気のチャレンジなら、何らかの形でかならずのちの人生の糧になります。
明日からも頑張っていきましょう!おやすみなさい。
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